2020-03-26 第201回国会 参議院 財政金融委員会 第7号
○政府参考人(佐原康之君) WHO選挙が始まった経緯につきましては、七十年以上前のことなので詳細は定かではありませんが、戦後すぐのWHO創成期に定められたWHO憲章あるいはWHO総会の手続規定では、事務局長は選挙によって選出し、WHO総会で任命されることと規定されております。 この一九四八年に開かれた最初のWHO総会で初代事務局長が選挙により選出されたと承知しております。
○政府参考人(佐原康之君) WHO選挙が始まった経緯につきましては、七十年以上前のことなので詳細は定かではありませんが、戦後すぐのWHO創成期に定められたWHO憲章あるいはWHO総会の手続規定では、事務局長は選挙によって選出し、WHO総会で任命されることと規定されております。 この一九四八年に開かれた最初のWHO総会で初代事務局長が選挙により選出されたと承知しております。
新しい創成期、我々の時代の最大の出来事をこの日本企業は見通していたと。 ナスバームは、スイスの銀行家に取材に行って、どうもおかしいと。この保守的なスイスの銀行家が、日本の今申し上げた半導体産業に投資しているわけですよ。三百年ぶりに世界の政治及び経済の主軸が大西洋から環太平洋へと移行し、国際的な勢力の均衡とか生活の細部に至るまで変えつつある。ソビエト連邦帝国の消滅を意味すると。
我が国は、前人未到のビッグプロジェクトを創成期から牽引してきており、現在でも、ITER計画の準ホスト国として、着実な役割を果たしてきております。本島参考人を初めとする関係者の皆様の御努力に、心より敬意を表したいと思います。
現に、昭和二十年代でございます、まだ現行憲法のいわゆる創成期におきまして、当時は自衛隊の前身である警察予備隊が組成をされ、後に今日の自衛隊へと発展をしていくわけでございますが、当時の内閣法制局は、そのみずからの公権解釈といたしましてこういうふうに言っております。米軍駐留そのものをもってして集団的自衛権の行使である。
○塩崎国務大臣 メイヨーにつきましては、総理がダボスでお話しになったときに、余り私は知らなかったのでネットで随分調べて、先生から今お話を頂戴したような創成期の苦労の話も勉強させていただきました。
現に、昭和二十年代、現行憲法の草創期、そしてまたその後の創成期において、当時の内閣法制局は、その公権解釈として、米軍の駐留でもってして、これは集団的自衛権の行使である、すなわち、この米軍の駐留でもって、急迫不正の侵略に対し自衛の権利を日米共同で行使することは集団的自衛権の行使であり、そのことを許容いたしておりました。
まず、この度の大綱におきまして、軍事的用途及び国際紛争助長への使用の回避というのは特段この大綱においてできた条文ではありませんで、元々このODAの大綱には創成期からこの文言というのは入っておるということがまず前提にございます。その上で、このODAを支出する際に関しては、支出国との間に、我が国は軍事的目的への転用等はできないということであらかじめお互いに認識を一致させ、書簡を交わす。
これまで、各事業者を初めとする関係者の大変な御努力によりまして、創成期を経て、成長を続けてきた今や、定着期に入っているのではないか、そんなふうに感じております。 〔土屋(正)委員長代理退席、委員長着席〕
そして、当時、鴻池当時の特区担当大臣、今座っていらっしゃいませんが、参議院出身の鴻池大臣が、参議院の官房副長官、当時、上野公成先生でしたが、のところへ何度も来られて、そして当時の特区制度の創成期というんでしょうか、始まりのところ、一生懸命苦労してつくられた、それを下支えを少しだけ手伝わせていただいたという経験がございます。
創成期、トルーマン、ケネディ。成長期、ニクソン、カーター。肥大期がレーガン。再建期が父ブッシュ。迷走期、クリントン。低迷期、子ブッシュ、オバマ政権と。こういった歴史をたどっているわけで、これを見ても、NSCというのは非常に難しい、運営は実は難しい面もあるということは強調しておかなければいけないと思います。
ですから、できれば与党の皆さん、政府の皆さんには、宇宙の創成期を、我々がずっとずっと小さいころから、空を見て、星を見て、その先はどうなっているのだろう、宇宙の果てはどうなっているのだろうということをいよいよ解明できる時期が来た、そういった一点の夢を追い求めるということでリニアコライダーを国民に訴えるというのが私の思いなのですけれども、そういった思いに関していかが思われますでしょうか。
○伊東(信)委員 いささか質問の順番がアップサイドダウン、逆さまだったみたいなんですけれども、リニアコライダー、目的としては、今までの遠心加速器と違って、三十キロに及ぶ距離の加速で、宇宙の創成期、ビッグバンのような状態をつくるというところまでお聞きしているんですけれども、その他、リニアコライダーを政府が推進している意義なり理念なりあれば、ちょっとお聞きしたいんです。
○鈴木参考人 御指摘の点は、多分、役所の中の方だけではない、原子力全体のコミュニティーの中で、創成期のころの、原子力をつくられたときの方々がだんだん少なくなって、第二世代、第三世代と呼ばれる方になってくると、原子力に対する思い入れもだんだん減ってくるということがあるかと思います。
亡くなるまで約百本の映画を監督し、日本映画、その昭和初期の時代劇の創成期を、映画づくりの職人と言われていろいろな数多くの作品をつくってまいりました。当時の映画制作というと、映画技術を担う、例えば衣装から大がかりな実物のセット、細かい小道具に至るまで、多くのスタッフがその道のプロの職人として映画づくりに参画してきたことは、祖父の資料や遺品からもわかります。
孫参考人については、いろいろと、もう私から申し上げるまでもなく、我が国のインターネットの歴史の、産業の創成期から、本当に国内外においてさまざまな事業に取り組んでいられまして、トップリーダーとして現在のこのインターネット産業を築いてこられました。
そういうことになって、昔の、創成期の明治時代とかインドとかと一緒になっちゃうわけですよ。鉄鋼も新聞も鉄道も銀行もみんな持っている大コンツェルンというのができてしまいかねない、それが成功すれば。失敗すれば、さっき言ったように、もう一回税金を投入して国民の税金で処理するということになるわけです。
私は、大体そのミレニアム総会が採択したミレニアム宣言の線で、紆余曲折はあるでしょうけれども、国連もそういう方向に行くでしょうし、それは国連の創成期のやや単純な機構よりはもっともっと複雑でダイナミックなものであろうと思いますし、我が国もしたがって国連外交を行うに当たっては新しい知恵とか新しい決意が必要でしょうし、とにかくその場合無用なのは、国連をやたらに、これを一つのはっきりと決められた、与えられたものとして
○国務大臣(鈴木俊一君) 高橋先生の御尊父、三木武夫先生が、昭和四十七年十二月から約二年余り環境庁長官をお務めになられたわけでありますが、環境庁ができましたのは昭和四十六年の七月でございますから、正に環境省の創成期に当たりまして、日本の環境行政の方向性を築かれた、そういう意味で大変大きな御功績を残されたと思っております。
三十七年テレビにおりますと、大体テレビの創成期からかかわってきたことになります。振り返ってみますと、やはり高度成長とともに活況を呈しました創成期、これは六〇年代ということになりますけれども、六〇年代から七〇年代の中盤、そして八〇年代に入りますと、何となくテレビが制度疲労を起こしているのではないかというような諸問題がいろいろ出てまいりました。
テレビがスタートして五十年ということになるわけですが、やはり、私たちが持っている印象、テレビのスタート時期、創成期というのは、ニュース、報道、そしてまた、ほとんどが娯楽であったという印象がするんですね、ドラマを含めて、スポーツを含めて。
しかし、同じことを自動車産業の創成期のときに言っていたんですね、アメリカのものを買えばいいよと、日本が国民車構想なんというものを発表する以前に。ところが、頑張ったから今日の輸出第一位のアイテムになっているわけですね。 事ほどさように、航空機というのは、ITもバイオもナノの技術も集結したようなプロダクトイメージですよね。
ですから、テレビ創成期の、それはテレビ創成期の番組は生だったせいもあったりして、残念ながら、古い大河ドラマとか紅白歌合戦が残っていないというのはちょっと残念でありますが、「ジェスチャー」とか「お笑い三人組」とか「私の秘密」なども余り残っていないと。「ひょっこりひょうたん島」も、先生の、必ずしも十分に残って、一部しか残っていないというふうに思っております。